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Il testimone...

人生朝露の如し 一日を大切に記していきます

自民党:民主党を生かすも殺すも「自民党」次第

首班指名選挙で自民党が揺れている。衆院選で惨敗し、国民からNOを突き付けられた現自民党総裁の麻生首相の名前を書いていいものか、そうだとしても誰の名前を書いていいのか。

国民からすれば、党内のゴタゴタを見せ付けられて見苦しいことこの上ないのだが、なるほどよく考えて見れば、難しい問題だ。

麻生首相が自民党総裁を辞する旨をすでに表明しており、首班指名選挙以降に行われる総裁選では麻生首相以外の者が総裁となるのは間違いない。その意味で、もう自民党総裁を辞める人を、自民党という政党として首相に担ぐ意味はないのである。

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そこで、首班指名選挙では、自民党議員は首相候補未定として白票を投じればいいのではないか、という話が有力になってきた。ただ、党内では、首班指名選挙で白票を投じることには「無責任だ」などの反対論も根強い。

ただ、繰り返し申し上げるが、国民にとって、こんなことはどうでもいいのである。
そもそも、すでに衆院選で惨敗した自民党は下野する過程にあって、なにをやっても恰好がつかない立場にある。
麻生首相に投ずれば「NOと言われた人を首相に推すのか」といわれ、白票を投ずれば「無責任」と言われる。自主投票にすれば「自民党はまとまりがない」、仮に新たな候補者を立てたとしても「いまだ自民党総裁でもない人を首相に推すのは矛盾」と言われる。
挙党一致したくても、総裁選が終わるまでの間、求心力を失った麻生首相の下ではまとまらない。

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しかしそれはやむを得ないことなのだ。政権交代を経験した他の国もそうであるように、選挙に負けた政党の選挙直後は敗戦処理に終われる。なにをやっても報われない。

ただ、現在のオバマ政権がそうであるように、国民(メディア)と与党との蜜月関係は長くは続かない。これから民主党も必要な人事を済ませ、具体的な政策の実現に歩みはじめれば、国民は今度は民主党の側に批判の目を向ける。

そのときにこれからの自民党に必要なのは新しいニューリーダーである。

権力を持った民主党は必ずどこかで足を踏み外す。アメリカ民主党を見ればわかるように(アメリカによる戦争の歴史はアメリカ民主党無しには語れない。)、体制批判を普段から繰り返してきたリベラルのほうが、実際に権力を持つと怖いものだ。
そのとき、自民党は国民の支持を背景に彼等の歯止めとなりうる数少ない力となる。

ただし、悲しいのは、自民党の人材不足だ。今でも次期総裁候補として、町村さん、石原さんといった、さまざまな名前が挙がっているが、民主党との対決姿勢を際立たせるには、ややインパクトに欠ける。

民主党政権への不満の受け皿として自民党が機能しなければ、(私は批判的ではあるが)二大政党制のメリットが生かされない。
つまり、自民党再生(あるいは第三極の台頭)が現時点で大いに可塑性のある民主党政権をより良い方向へと導くことにつながるのである。

自民党がいけないのは、仮に衆議院でフレッシュな議員の名前が候補者として挙がっても、衆議院には、日本の伝統や価値を保守するのではなく、vested interest(既得権益)を保守する「古い自民党」の象徴とも言える一部の大物議員の存在が背後にあることを窺わせることである。
だから、若い人が出てきても「この人はバックに○○がついている」と思わせてしまい、フレッシュな人材を生かせない。

その最も適切な具体例となるのは、先の衆院選で落選した山崎拓前自民党副総裁の山崎派会長の続投であろう。
これでは、どんなに「自民党は変わった」と言われても、説得力に欠けてしまう。なぜ、山崎さんが落選したのかということを自民党はよく熟考すべきだろう。
こういった人たちを勇気をもって切ることが、自民党に求められている。

こうなると、いくら大物議員が落選しようが、自民党の本質は変わらないのではないか、との疑念を抱かざるを得ない。

個人的には、もはや参議院自民党に頼るしかないのではないか、と思う。参議院自民党は衆議院に先立っていち早く世代の交代が行われた。その中には、若くて優秀な議員も少なくない。
次期総裁の候補を、この際、参議院議員から選んでもいいのかもしれない。

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ところで、おととい書いたように、次期政権は一面では小泉構造改革と変わらなくなるおそれを秘めている。
今のところ、雇用規制が強化される等、さまざまな話が飛び交ってはいるけれど、たとえば、「東アジア共同体」は、その実質は彼等が批判して来た小泉構造改革と何一つ変わらない(国家共同体創設のためには、ヒト・モト・カネに関する分野の大規模な規制緩和が不可欠だからだ。)。

あとあと後悔しても遅い。責任ある一票を投じた以上、自分たちが選択した政権を最後まで見守る義務が国民にはある。
日本共産党のように「自公政権が倒れた」だけで満足をしてはいけない。何のための政権交代であったのか、その意義を見失うべきではない。

「投票したら終わり」ではなく、これからの政権の理解者として、批判者として、広く国家国民をより良い方向へと導くために、国民は政治に厳しい目を光らせ続けなければいけない。

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

  1. 2009/09/07(月) 19:16:01|
  2. 政治
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