FC2ブログ

Il testimone...

人生朝露の如し 一日を大切に記していきます

[差別] 「障害者」改め「チャレンジド」

<「障害者」の表記に関して、英語の「チャレンジド」の方が望ましいとの考えを示した上で「新政権で考えなければならない」と述べ、名称変更を前向きに検討する意向を表明した。
 首相は米国留学時代の経験に触れ「チャレンジドの人がチャレンジ精神で健常者以上に見事に暮らしている姿を見て、こういう日本にしたいと感じた。チャレンジドの皆さんがこの国に生まれて良かったと感じられるよう最善の努力をする」と述べた。>

 「この国というものが良く分からない」と言った鳩山首相の口から<この国に生まれて良かったと感じられるよう>との言葉が出てくるとは思いませんでした。
 障碍者の方を含め国民に<この国に生まれて良かった>と感じさせるためには、その前提としてキチンとした国の形がなければいけないのですが、鳩山首相はこのことに気づいておられるでしょうか。

 上記記事からもお分かりのように、鳩山首相は、「障害者」の表記を「チャレンジド」に改めるべきだとして、「(名称変更は)新政権で考えなければならない」と述べました。

 なぜ障碍者を「チャレンジド」と呼ぶのか、といいますと、私はある方から次のように聞いたことがあります。

 《障碍者の持つ「障害」は神様から与えられたものだと考えられます。神様は、「障害」に負けずに頑張れ、つまり、チャレンジしろ、と言っているのです。
 いうなれば、「チャレンジする者として神様に選ばれた人」なのです。》

 私は仏教者なので、このへんのことはあまりよく分かりませんが(もしかしたらそのような思想背景が本当にあるかもしれません。)、その方の解釈(この人が正しいと言っているわけではない。)によれば、「障碍者」をチャレンジドと言うのは、神様が与えた障碍にチャレンジする人、という意味で使っているんでしょうね。

 仮にこれが障碍者を表す言葉とされたとすると、「障害者手帳」は「チャレンジドノート」と呼ぶことになるのかな(汗)。

 こういうのは、一種の言葉狩り、といえるのかもしれませんね。

 別に「障害者」という言葉そのものが、障碍者を差別するものではないはずです。

 その言葉に差別意識を混入させるのは、あくまでも使う側の問題であることを忘れてはいけないのです。
 そのような人達の認識を改めることなしに、ただ名称だけを変えても何も生まれないでしょう。

 子ども手当を給付しても少子化問題は根本から解決しないように、言葉だけを換えたところで、今ある差別や障害除去の課題が解決するわけではありません。
 

テーマ:民主党 - ジャンル:政治・経済

  1. 2009/12/19(土) 01:52:24|
  2. 社会
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

[差別] 障碍者差別と言葉狩りは違う

<問題となっているブログは11月8日付「医師不足の原因は医師会」。医師会を批判する記述の中で、「高度医療のおかげで機能障害を持ったのを生き残らせている。結果 擁護施設に行く子供が増えてしまった」「『生まれる事は喜びで、死は忌むべき事』というのは間違いだ」(原文のまま)と記載していた。>


 阿久根市(鹿児島県)の竹原市長のblogの内容が物議を醸しています。

 当該blog記事は、11月8日付けのもので、現在は文書は削除されていますが、<高度医療が障害者を生き残らせている>などと到底万人には理解できぬ妄言をるる書き連ねていたそうです。

 報道によれば、竹原市長は、文章の修正等に応じる意向を示しているそうですが、謝罪をするつもりはないそうです。

 ネットには、竹原市長を擁護する意見も少なくありません。

 その多くが、このような文章に目くじらを立てることは、言葉狩りに繋がるのではないか、などと述べているように見えます。

 なるほど、私も、差別的表現であったとしても、表現規制は謙抑的であるべきだとおもいます。

 気に入らない意見があったとしても、言論をもって対抗していくべきです。
 ちなみに、法律学の世界では、これを「対抗言論の原則」といいます。

 私は、言葉狩りとは、差別に繋がることを理由に特定の言葉の使用を禁じられ、あるいは、自ら使うのを差し控えざるを得なくなること、だと考えます。

 しかし、その一方で、言葉は常に変化していきます。
 その変化は、よき改善をもたらす場合もありますが、本来の意味を離れて言葉が独り歩きをするなど退化する場合もあるでしょう。

 だから、何が日本語として優れているのかは、一概に判断できるものではありません。
 
 そして、ある一時期において、狩りの対象となる言葉も、10年後には良い意味で使われているかもしれません。
 ゆえに、言葉を狩るようなことは常に慎むべきでしょう。

 しかし、そのことと今回の一件は少し性質が違うようにおもいます。

 竹原市長のblog記事には、言葉狩りに相当する「言葉」がないからです。

 竹原市長自身も認めてしまっているように、今回、彼に批判が集まっているのは、あまりにもその文章が稚拙すぎて「誤解を招いている」からです。

 抗議してきた障碍者団体に、言葉狩りうんぬんと言う前に、きちんとした言葉で語るべきではないでしょうか。

 障碍者団体も障碍者に文句を言うことまでは否定していないでしょう(中には、そういう団体もあるかもしれないが。)。

 しかし、もしそうだとしても、公人として最低限の知識をもって、価値ある確かな言葉で語ってほしい、というのが障碍者たちの健全な思いなのではないでしょうか。

テーマ:憂国 - ジャンル:政治・経済

  1. 2009/12/18(金) 23:08:40|
  2. 社会
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0