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Il testimone...

人生朝露の如し 一日を大切に記していきます

敗戦直後に考えられていた残すべき天皇制のかたち-わたしたちの憲法を考える(5)天皇3

天皇の存続を第一に,第二にポツダム宣言の精神の具現を目指した外務省

 外務省条約局『憲法改正大綱案』では憲法改正の指導理念を次のように定めていました。

 1.天皇ノ地位に關する現行憲法ノ建前ハ之ヲ堅持スルコト(國体ノ護持)

 2.「君」ト「萬民」トノ間ニ介在シ來レル從來ノ不純物ヲ除去スルコト(一君萬民ノ政治)

 3.眞ニ民意ヲ基礎トシ國民ノ祉増進ヲ目的トスル政治ヲ實現スルコト(民本主義)

 この三つを柱としつつ,同案では改正の具体方針として・・・

 ポツダム宣言の受諾に伴い,最小限改正を必要とする事項 = 
    (イ)領土の変更,(ロ)軍国主義の抹殺,(ハ)民主主義

 ・・・を掲げていました。

 前のエントリと重複することではありますが,当時の外務省ポツダム宣言の受諾と当時のGHQの要求に応える憲法の改正が必要だと考えながらも,天皇制を存続させる道を模索していたようです。

 敗戦後にあるべき天皇制のかたち

 しかし天皇制(国体護持)を残すとしても,どういう形で残すかについては,大日本帝国憲法における天皇制のままで良いとか,今の天皇制のように政治性を払拭する形が良いとか,様々な意見があったようです。

 そこで当時の政府が参考にした資料の一つ,高木八尺(やさか)の『天皇制について』1945年12月発表をご紹介します。

(1)天皇制の特徴について

 <同一種族に属する,比較的温順なる国民の存在,国民の間に滋養されし家族主義,温情主義の習俗の普及は如上の君民一致の伝統の成立に寄興したのではないかと考えられ>,日本特有の風土・固有の国民性によって天皇制は育まれていった,まさに<あまねく世界に求めてその類例を得難い>制度だと説明。

 この歴史に鑑みるに,天皇制の特徴とは・・・

 1.<万世一系ノ天皇ノ存在
 2.<天皇ハ徳ヲ以テ君臨シ給ヒシ事實
 3.<天皇,國民ノ輔翼ニ依リ統治ヲ行ハセ給フコトガ,史實ニ基ク理念タルコト

 ・・・の三つに集約される。

(2)天皇制存置の理由について

 天皇制を<維持することは我が国民的総意であること疑い入れない>。

 <凡そ一国における政治の形態の根底には,常に歴史の基礎がなければ,その健全なる発達を期し得ない。
 「ラテン,アメリカ」諸国ないしは支那における民主政の移植発育の困難が,この事実を物語る。
 また1918年以後におけるドイツの民主主義憲法への急転の経験は,非常時局下に行われた急激なる憲法改正に伴う国情無視の危険を示すのである。

(3)憲法改正案に天皇制を盛り込むことによるメリットについて

 <天皇が国民的感情の中心たるより生ずるその道徳的リーダーシップの可能性>をもっており,<民衆と世論の激高・動揺等に際して,天皇は最も公正に国家の真益を図り給う地位にある>として,天皇制を改正憲法に盛り込むことで,日本は復興しうる。

 * * *

 もっとも高木氏は上のように述べつつも,天皇が現人神(あらひとがみ)の観念を去り,その神秘性を脱却するとともに,一方では神道の地位を明確にすべきだとしています。
 また憲法には,神道が国教化される懸念を払拭するため,個人に信教の自由を確立することが必要だとしています。

 高木氏の論考をお読みになって,いかがお考えになりましたでしょうか。

 高木氏が今から65年も前に述べていた「残すべき天皇制の姿」と現代における皇室を比べてみると,面白そうですね。
  1. 2009/02/11(水) 11:23:31|
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新たな憲法秩序に上手に取り込まれていった現行天皇制 - わたしたちの憲法を考える(4)天皇2

 久々に憲法に関するエントリを書いてみようと思います。

 以前,象徴天皇制と国民主権原理を明らかにした第1条について書きましたが,今回のエントリでも引き続き「天皇制」について書いていこうと思います。

 * * *

 天皇制廃止を迫った日本共産党

 当時の日本共産党は,天皇から国民に主権が移譲され,国民主権(人民主権・人民主義)を基調とする新憲法秩序の下では,天皇制は不要だと主張していました。
 1946(昭和21)年6月29日に発表した「日本共産党憲法草案」の前文では・・・

 <ここにわれらは、人民の間から選ばれた代表を通じて人民のための政治が行はれるところの人民共和政体の採択を宣言し、この憲法を決定するものである。
 天皇制はそれがどんな形をとらうとも、人民の民主主義体制とは絶対に相容れない。
 天皇制の廃止、寄生地主的土地所有制の廃絶と財閥的独占資本の解体、基本的人権の確立、人民の政治的自由の保障、人民の経済的福祉の擁護――これらに基調をおく本憲法こそ、日本人民の民主主義的発展と幸福の真の保障となるものである。>

 ・・・と明確に天皇制の廃止が盛り込まれています。

 * * *

 連合国側の要求に応える形での新たな天皇制

 『帝国憲法改正問題試案』という外務省の資料があります。日付は1945(昭和20)年10月11日。
 外務省条約局第一課長の田付氏が準備したもので,当時の条約局の改憲方針がまとめられています。

 その中で田付氏は憲法改正に関する連合国の対日姿勢・要求について次のように報告しています(一部読みやすい形に改めています)。

 ・<聯合國特に米國においては右憲法改正に當り民主主義的,平和主義的及合理主義的精神及制度に則り行はれることを要求>。

 ・<斯る憲法の改正の時期に關する聯合國特に米國の態度は明確ならざるも「国民の自由なる意思」に基く改正を希望>。

 連合国(主に米国)は日本側に,改正の内容が<民主主義的,平和主義的及合理主義的>なものでなければならないと迫る一方で,今回の憲法改正が連合国によって押しつけられたり,強制的に改正させられたものではない意思を明らかにするよう求めていました。

 この要請に応えるためには,まず天皇主権を採用している明治憲法を改正し,主権を天皇から国民に移譲させた「国民主権」を基調とする今の憲法の形にする必要がありました。

 ただし日本共産党のように天皇制を廃止するわけにはいきません。田付案にも次のとおり改憲方針が示されていました。

 <天皇制度は帝國肇國の大精にして本制度の除去は日本帝國の滅亡なり。如何なる事態に相遇するも本制度の維持確立は帝國存立の絶對的基盤と言ふべし。>

 しかし天皇制の維持が<存立の絶対的基盤>と言っても,単に帝国憲法における天皇制をそのまま改正案に組み込むのでは,連合国側の求める「民主化・合理化」という要請に応えられません。
 そこで天皇制を維持しつつも,連合国の要求に応える内容をもった改正案を模索することになります。

 田付氏は新たな天皇制のありかたについて,次のように提案しています。

 <従来天皇と國民との中間に存在する機關にして法律上責任を有せず而も國民とも何ら關係を有せざるもの相當存在し(例へば内大臣,枢密院の如し)之が爲機構の複雑化せる外國民の意思の上通を塞ぎ爲に立憲君主の政体はその本来の姿を損はるるに至れり>

 少し難解な文章ではありますが,簡単に言えば,民主化と天皇制を両立させるために,田付氏は,既存の天皇制を利用して特権的な地位を築いてきた内大臣府や枢密院のような機関を排することを提案するのです。

 * 次回に続きます。
  1. 2009/02/06(金) 21:51:17|
  2. 日本国憲法
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わたしたちの憲法を考える(3)天皇1

 今日は「第一章 天皇」です。

第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
Article I. The Emperor shall be the symbol of the State and of the Unity of the People, deriving his position from the sovereign will of the People, and from no other source.

(1) 現行憲法下の象徴天皇制以外に案はなかったのか

 GHQ草案を見ていただければ分かると思いますが,天皇に関する憲法の条項はほぼGHQ草案の通りに作られています。

 これだけを見ると,当時,GHQ草案をみなが支持していたように思えるかも知れません。
 しかしみながみな「象徴天皇制にしよう」と言っていたわけではありませんでした。

 他にどういった意見があったのかを簡単に見ていきます。

 当時(私が確認したのは昭和20年11月8日の時点)の日本共産党は<天皇制はそれがどんな形をとらうとも,人民の民主主義体制とは絶対に相容れない>と主張し,<天皇制の廃止,寄生地主的土地所有制の廃絶と財閥的独占資本の解体,基本的人権の確立,人民の政治的自由の保障,人民の経済的福祉の擁護>を特徴とする『日本人民共和国』の創設を主張していました。

 当時の社会党はどうだったのでしょうか。
 社会党が主張していたのは,天皇制の存続を前提に天皇に統治権の一部を付与する,というものでした。
 あのリベラル色の強かった社会党が「天皇に統治権を付与する」と聞いて驚いたかたもいるかもしれませんが,社会党内にも(今の民主党のように・笑)右派勢力と左派勢力の対立が起きていました。
 社会党の描いた「天皇制」の姿は保革対立のcompromise妥協の産物であったのです。


 つまり,社会党の主張は実際の社会党の主張するところの「統治権」の内容は,今の憲法が認める「国事行為」の範囲とほとんど変わらない点で革新的でしたが,「統治権」という言葉を使った点で保守的であったと統括できると思います。


 当時,自由党はどうだったのでしょうか。後に同党に所属していた鳩山一郎が「軍国主義者」としてGHQにより公職追放されたように,やや(旧憲法体制に対して)保守の色彩の強い主張をしていました。
 自由党は天皇を「統治権の総攬(そうらん)者」と位置付け,天皇の統治権の「行使」を認める主張をしたのが特徴的でした(旧憲法と同じ)。
 もっとも,これと同時に天皇大権の廃止を主張することで,改正の意義の強調もわすれませんでした。


 当時の自由党と並び,保守的な政党であった日本進歩党は次のような天皇制を主張しました。
 まず天皇に統治権を認め,天皇の有する立法権は「帝国議会の協賛」により,行政権は「内閣の輔弼(ほひつ)」を必要とし,司法権は裁判所に「託す」こととしました。つまり大日本帝国憲法における天皇制を擁護する主張でした。
 また,天皇大権の一部を認めた点で,自由党の主張よりもさらに保守色の強い主張をしたのも特徴的です。

 * * *

 歴史教科書の中では,まるで戦後の日本では「象徴天皇制」のみが国民に広く受け入れられていたという印象を持っている人がいるかもしれませんが,天皇の「統治権」に関して意見の鋭利な対立が見られていたことがお分かりになったと思います。
 旧憲法における天皇制を擁護したり,あるいは天皇制そのものを廃止すべきだとしたり,必ずしも新憲法における天皇制の姿は統一されていませんでした。


 もっとも,これら旧憲法の体制を擁護する勢力はことごとくGHQによって公職追放の対象になりました。進歩党に至っては所属議員の90%近くが「軍国主義者」として公職追放の対象となり,発言力を奪われました(所属議員約270人中250人?くらいが公職追放だったと記憶しています)。
 したがって,旧憲法における天皇制が維持される余地はほとんどなく,事実上GHQが提示した「象徴天皇制」が既定路線とされていた,と言っても間違いではないでしょう。
 だからといって,象徴天皇制が不当だと考えるわけではありません。今の憲法第一条が作られるまでには,いろいろな見解が存在しており,象徴天皇制という今の皇室の姿が全てであったというわけではなかった,と言いたいだけです。


 ちなみに,この公職追放は国内の保守派を一掃することに成功する一方で,(天皇制を防共の砦としようとした)GHQの思惑に反し,皮肉にもGHQが懼れていた革新勢力の台頭を招くことになります。。
 第一条に関してはまだ述べたい点がいくつかあるのですが,長くなるので,今回のエントリはここまでにいたします。

 

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  1. 2008/12/30(火) 21:20:00|
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