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別窓 |
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気になるニュースがあったので,みなさんにもご紹介したいとおもいます。
■ 卒業式で起立・斉唱せず、再雇用拒否で都に賠償命令判決 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080207-00000042-yom-soci
公法上の法律関係に関する話なので,簡単に解説を施しておきます。 ・東京都は公務員である教職員に対して国旗に向かって起立すること,および国歌を斉唱することを命じている。 ・また,それに従わなかったものは職務命令違反として責任を負うべき旨を通達にて規律する(行政内部規律)。 ・再雇用の際に,都は職務命令違反を主要な理由としてこれを拒否した。 ・原告側はこれを不服として損害賠償を求めている。 一見すると,教職員側の「全面勝訴」のようにおもわれますが,そうではないので気をつけて見てください。 まず裁判所は,職務命令,すなわち国旗に向かって起立し,国歌を斉唱すべきことを命ずる通達を合憲としています。 元教職員側は,憲法の保障する「思想及び良心の自由」(19条)のうち,特定の思想の強制の禁止にあたるために,こういった職務命令は違憲であるとの主張をしてきましたが,これが退けられた形になります。 裁判所は,あくまでも再雇用を認めなかった行政側の裁量に逸脱・濫用があったことを理由に違法としていますから注意してください(行政事件訴訟法30条)。 その理由として,裁判所は何を挙げているかというと,教職員の思想等は全く関係のないものを挙げています。すなわち君が代に反対するとか,しないとかいう思想が法的に評価されたというわけではないのです。 裁判所は,再雇用を認めなかったことの違法性を,「過去には起立・斉唱しなかった教職員も採用されている」という前提と,「職務命令違反は1人を除き1回にとどま」り,その違反の程度が軽微であること,「定年までの勤務成績を総合的に判断した形跡がない」という観点から導いています。 わたしとしては,法律論としては裁判所の判断も分からなくもありませんが,そもそも再雇用するかどうかの判断は都に広い裁量権があります。 だから,この地裁判決では,この裁量の範囲をやや狭いのではないかとおもっています。そもそも一度でも職務命令違反をなした者を,再び雇用するということを,民間企業ではしないことからしますと,都の判断は決して間違っていないものと考えることもできます。 それはともかく,そもそも国歌を斉唱しない教職員がいることは問題視されてしかるべきでしょう。 テレビ朝日でかつてやっていた「ニュースステーション」でおこなわれた世論調査によると,君が代を国歌と思わない国民は半数近くに上っていたとおもいます。 なぜこのようになったかについて,私見を申し上げると,おそらく国歌の意味を子供の頃に知らされていないことにあると考えます。 他国の例を見ますと,他国の国歌の意味を子供のころから教えているようです。 もちろんわたしもそうです。フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ(La Marseillaise)」は,フランス革命期に,義勇軍がテュイルリー宮殿を襲撃した際に歌われたものであることを知っているのに,君が代のことは,つい最近まであまり知りませんでした(今でも不十分な知識だとおもってます)。 ナショナリズムを高揚しようと言っているのではありません。 子供たちに考えさせる機会を与えるためにも,君が代や日の丸について教える必要はあるとおもうのです。 卒業式の日に,一部の教師だけが起立せず,国歌を歌わない状況を見て,生徒は何をおもうでしょう? 教師一人一人の思想は大切にしていくべきでしょうが,教育の担い手として,子供と直接ふれあう数少ない大人として,子供たちの利益を最優先に考えてほしいとおもいます。 「教育を受ける権利」は,大人が「教育を与える権利」ではありません。 子供の「教育を受ける権利」であり,子供の「学習権」です。 なにかはき違えているのではないでしょうか? みなさんはどのようにお考えになったでしょうか。 最後にメディアリテラシーを養うためにも新聞読み比べ・・・ (朝日新聞)
(日経新聞)
(共同通信。中日新聞等)
読み比べてみると,「一人あたり210万円の賠償命令」と伝える読売新聞に対して,他紙は「総額2750万円の賠償命令」と記しているところが印象的でした。後者のほうが大きな問題のように印象づけられますね。 |
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晩婚化の時代「女性」の苦しみを理解し,みなで共有していきましょう。
倖田が番組欠席で鈴木亜美“代打出演” 2月3日7時2分配信 スポーツニッポン http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080203-00000047-spn-ent
今までに外国人参政権,捕鯨問題などの問題を扱ってきたが,たまにはこのような話題も取り上げさせていただきたい。 歌手の倖田來未さんが「35歳過ぎると羊水が腐る」といった趣旨の発言をしたことで,関係各所に影響が出ているとの記事。 ちょこちょこいろいろなブログを見ていると,どうも意見が分かれているような気がする。 倖田さんは「年齢が高くなると出産のリスクが高くなる」とのことを言いたかったのだと半ば強引に都合のよい方向に解釈するブロガーも結構いる。 (ただ,仮にそうだとしても,「腐る」という言葉を用いた時点で,そのような解釈が間違っていると言えるだろうが。。) また,「別にこのくらいイージャン!」というブログもあった(そのブログは小中学生くらいの文体におもえた)。 その他,「誰も傷つけていないのだから,かまわないのでは?」という内容のブログもあったとおもう(利己主義者?)。 これらの反応を見て申し上げたいのだが,彼女の発言が誰も傷つけていないとおもったら大間違いだ,ということである。 この機会,こういった発言が,一部の女性のみならず,男性の心を痛めていることを知っていただく必要があるだろう。 晩婚化が進むと当然女性の子供を出産するときの年齢も高くなるのが通常だ。もちろん出産のリスクはある程度高くなる。 わたしの叔母も40歳を過ぎて出産されたが,叔母は無事出産するまで,相当のプレッシャーを感じていた。 「自分の子供は無事に産まれるだろうか」と毎日寝るに寝られなかったそうだ。 「自分の命はどうなってもよいから,とにかく子供を無事に産ませてほしい」とさえ考えていたと叔母から直接伺ったことがある。 男性である夫の側も同じ気持ちだった。自分の子供のことだけじゃない。自分の妻の健康のことが心配だった。 そういうかたがたが日本中にいる。晩婚化の時代だからなおさらのことだ。 毎日不安に過ごしてらっしゃるかたもいるだろう。 そういった社会的背景を考えたとき,倖田來未さんの発言はあまりにも軽率だったとおもわざるをえない。 こういったわたしの意見に対しては,「そこまで考えて発言する人などいない」とか,「歌手にそこまでの配慮を求めることこそ非常識だ」という反論もあるだろう。 だが,注目された者は注目される分だけの責任を負わなければならないとわたしは考える。 つまり,テレビ・ラジオに出演し,それにより利益を得る者は,テレビ・ラジオで発言した内容につき注目された分の責任を負わなければならない(編集者の免責を認めるわけではない)。 ある会社の従業員が仕事中に事故を起こしたとき,従業員個人だけでなく会社も責任を問われる,というのはみなさんもご存じのことだとおもう(民法715条;使用者責任)。 この法理は,会社が従業員を使用することにより,利益を得ていたのだから,そこから発生した損害をも負担するのが公平なことを根拠に認められている。 この理と一緒だとおもう。 もちろん,最近はちょっとしたことですぐにクレームを出す人が目立っているのも事実だ。人権団体なども,ちょっとしたことでマスコミに圧力をかけようとする。 今までは許容されていたようなことが,今ではすぐに批判の対象とされてしまう。「歪んだ人権思想」が日本に定着してきたことの証拠だとおもう。 こういう風潮は確かに怖い。表現の自由を標榜する団体が,表現つぶしをしているのだから。わたしもこういう勢力は大嫌いだ。 だとしても,倖田來未さんのように,一人の有名人としてマスコミに出演し,社会に注目され,結果として遙かに大きな利益を得ている者は,それに見合った責任を負ってほしいとおもう。 ちょっとした発言が,だれかの心を傷つけることがある。少し考えれば防げたことだ。倖田さんには,ファンもたくさんいるだろう。ファンのためにも,気をつけてほしい。 家の中の会話と外部における表現はまったく影響力が違うということを再認識してほしいと感じた。 まず「女性の品格」を読んだらどうだろう。 |
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| Il testimone... |
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