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年金記録転記で大量ミス、中国人アルバイトが誤記
1月30日22時15分配信 読売新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080130-00000055-yom-soci
<厚生年金>転記作業で派遣の中国人ら大量ミス 1月30日22時9分配信 毎日新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080130-00000146-mai-soci コンピューターに未入力の古い厚生年金記録1430万件などの手書き台帳からの書き写し作業で、昨年12月に派遣会社から派遣された中国籍などの外国人約50人がミスを連発し、社保庁が途中で全員の作業を打ち切ったことが分かった。 こういう業務を中国人アルバイトにやらせればどうなるのか,という想像を,社保庁ははたらかせなかったのだろうか。 近年,日本には多くの中国人労働者が流入している。 そもそも中国人労働者の常識と日本人の常識は異なる。 これと同じように,わたしたちが通常備えておくべき感受性や能力を,中国人労働者がもっているとは限らない。 つまり,われわれ日本人が中国人労働者に「〜をしろ」と言えば,当然にそれをすることができるとは限らないのだ。 だから,中国人労働者に対しては0から教える気持ちで対応しなければならない。 とはいうものの,このくらいは社会に出ていれば容易に分かっている日本人の「常識」だとおもう。中国人労働者は日本人とは異なる特別の対応をしなければ,業務をこなすことはできないということを。 社保庁はそういうことすら理解していなかったのだろう。社保庁それじたいが常識を欠いているということなのかもしれない。 というか,この業務を中国人労働者にやらせているとは思わなかった。単なる事務とも言えるだろうが,それなりの(日本語的)能力が必要な業務だから。 最近は,たとえば日本国内の漁業などにおいて,漁業従事者が少ないために,その労働力を補うためにやむにやまれず外国人を雇って,1から教えているケースが多いのだという。 また,外国人(ことに中国人)が日本に留学しに来たにもかかわらず,大学にも行かず,アルバイト等をしているケースも増えているそうだ。(中国人や韓国人の留学生が生活苦から窃盗・強盗をしたケースも何件かすでに報道されたとおもう) 政治家の中にも,労働力の拡充や人口減少問題に対応するためには,外国人を幅広く受け入れることが必要だと主張する者も少なくない。 だが,こういう社保庁の不祥事を見ると,どうも日本人はまだ外国人(労働者)を受け入れる心構えはできていないし,その余裕すらないようにおもえる。 また,フランスの移民政策の結果を思い出してほしい。過度の移民流入により,結局はフランスの保守化を招いた。国民間にはナショナリズム(言語共同体としての)を強調しなければ,フランスはフランスではなくなるのではないかという危機意識も生まれた。しまいにはサルコジ大統領が移民を「社会のくず」とまで言い放つ始末だった。 外国人労働者を受け入れるのはよい。だが,無制限に受け入れることで困るのは結局は日本人なのだ。 彼らとどう向き合い,どのようにつきあっていくか,という議論をもっと政治家の間でもしてほしい。ただ闇雲に「友好のため」などと言って外国人の受け入れを強調するのもやめてほしい。 外国人(労働者)の無計画な受け入れが,かえって日本を亡国の道に歩ませることにもなりかねないとおもう。 |
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これで国民に賛否を問うのは酷ではないでしょうか。
<つなぎ法案>議長あっせんで取り下げ 全面対決は当面回避 1月30日20時31分配信 毎日新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080130-00000114-mai-pol
揮発油税の暫定税率存廃問題で,いわゆる「つなぎ法案」が取り下げられた。 議長のあっせん案によるものだと言うけれども,要はお互いが譲歩した結果,妥協の産物として得られたのが「年度内に結論を得る」という合意だったのだろう。よく言えば話し合い,悪く言えば談合だろう。 わたし個人,揮発油税の暫定税率存廃問題については,その賛否を決めかねている。 まず,民主党の言うように,暫定税率が34年前に導入されていてすでに「暫定」とは言えず,「既得権益化」したという面は否定できないとおもう。 だから,廃止を主張することにも一理あるだろう。 また,これに関連して「道路特定財源の一般財源化」。これも大切な議論だ。 民主党は道路整備事業を見直すためには,この課題をクリアする必要があるとする(というか,道路特定財源の一般財源化は安部前首相がやろうとしていたのだが,さまざまな障害から安部前首相はこれを成し遂げることができなかった)。 それに町村官房長官の「25円安くなると地球温暖化」論はあまりにも国民をバカにしたものだった。つまり,25円安くなると,貧乏人でも車に乗ることができるから,温暖化が進むという論法だ。 あまりにも国民を愚弄する意見だったと言わねばならない。 だが,わたしが賛否を決めかねているのは,民主党の説明に説得力がないと考えているからだ。 暫定税率を廃止した場合,その分の財源はどうするのか,という疑問に民主党は答え切れていない。 もちろん,民主党は政権を握っていないから,説明が「ある」程度仮定的になるのはやむを得ない。だが,それでも明らかに説明不足だ。 しかも民主党が設置した「ガソリン値下げ隊」が「ガソリン代を下げたら国民生活が楽になる!」と息巻いているが,都合の良い話ばかりを並べているのには反対だ。これでは小泉元首相のポピュリズムと何ら変わらない。そうでなければ,民主党が政権を握っても衆愚政治を招くだけだ。 廃止の後,地方の道路整備の水準を維持できるのか?そして,その財源は?・・・民主党にはこの疑問について国民に納得させられる程度に説明してほしいとおもう。 しかも民主党は,「国が」直轄する公共事業1兆円分の地方負担金を廃止すると言っている。これで地方の減収分を補うことができるとするのだ。たしかに地方を納得させられそうではあるが,あとは国が全部負担するとでも言うのか? もちろん「無駄は省く」との姿勢は必要だ。だが,無駄を省いただけで,2兆数千億もの減収の穴埋めが本当にできるのだろうか? 都合が良すぎることばかりが伝えられることに抵抗がある。 民主党は「一部大都市を除く高速道路の無料化」を約束。この政策の是非はともかくとしても,実現可能性が乏しくないだろうか。暫定税率を廃止すればなおさらのこととなる。 また民主党は新たな税の必要性を主張する。 その名も「地球温暖化対策税」。 この税はいったい何だろう?暫定税率を廃止しても,この税の内容いかんによっては,結局国民の負担は変わらないか,最悪,悪化するのではないか? 自公も自公だが,民主党も民主党だ。 安倍前内閣を追求していた民主党の威勢の良さはどこにいった?説明責任を果たすべきじゃないのか? |
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とうとう日本にも顕著な被害が...
中国産ギョーザで食中毒多発、重体も 殺虫剤成分を検出 1月30日16時9分配信 産経新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080130-00000962-san-soci
中国製ギョーザ食べ10人入院=千葉、兵庫の親子、腹痛や吐き気−農薬成分検出 1月30日17時31分配信 時事通信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080130-00000128-jij-soci
家族一家そろって食中毒症状。しかも,一人が重体だそうだ。 この記事だけでは詳しいことは分からないが,読み方によっては「中国産」だから製造過程で何者かがメタミドホスを混入したのではないか,という疑いを差し挟むことができる。 もっとも,ギョーザには農薬成分(メタミドホス)が含まれている。 つまり,産経新聞では故意の混入の余地に言及するが,「残留農薬」の可能性もあるということだ。 また,県衛生指導課の情報だが,商品名はCO・OP冷凍食品「手作り餃子」。 中国から輸入したのは東京都品川区の「ジェイティフーズ」だ。 ネットでは盛んに叫ばれていることだが,やはり中国産の食品は危ないのだ。以前,とあるかたに教えていただいたが,こういうのを「チャイナリスク」と呼ぶのだという。 もちろん中国に頼らざるをえない面もある。コスト面,食糧自給率の面・・・ また経済的弱者に対して,価格の安い中国産の食品を「買うな」と言うことは酷ともいえる。お財布と相談して,やむにやまれず中国産の食品を買う人もいるのだ。 残念なことに中国に関する報道は強い報道規制のもとになされているから(北京五輪の報道を見れば一目瞭然だとおもう),我が国のマスコミはあまり過度な批判的報道はできない。 国民自身はマスコミの報道を鵜呑みにするのではなく,まずは「チャイナリスク」を認識すべきだろう。報道された「ダンボール肉まん」だけ危ないとおもったら大間違いなのだ。 ただ,悲しいことに,おそらく我が国の政治家は普段の生活において中国産は食べていないだろう。 特に,あの北京五輪を真っ先に支持し,中国万歳をひらすら叫んでいるような我が国の政治家たちに中国産を購入する国民の気持ちは分からない。。 日本の政治家よ。この数字を見て何も感じないか?? 「中国製品の利用 不安・抵抗感が「ある」は88%」 1月30日 12時00分 http://news.ameba.jp/domestic/2008/01/10604.html
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マスコミ批判ばかりしていますが...
もう削れまへん…橋下流「府債ゼロ」は実現ムリ? 1月28日23時37分配信 産経新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080128-00000941-san-pol
こんなヘタレブログに訪問してくださっているかたはもうおわかりかもしれないが,わたしはマスコミの報道姿勢に違和感を覚えている(最近はマスコミ批判ばかりで恐縮です...)。 橋下氏を大阪府民は選んだわけだ。わたし個人はタレントの強みで橋下氏は自民・公明の推薦支持等を受けてはほしくなかったのだが,それでも府民の意思だ。 選挙後に「大阪府民は愚かだ」と橋下氏を支持しないかたがたからの声が聞こえてくるのは仕方がない。前の都知事選もそうだった。「石原に入れた奴はバカだ」という声があちこちで聞こえた。 わたしは府民ではないが,それでも府民の期待に応えるべく,橋下氏にはがんばってほしい。 で,わたしがマスコミをまたもや問題にしたのには理由がある。 以下のようなマスコミの報道が,なんとなくマスコミの報道姿勢の微妙さを伺わせたからだ。 まずTBS・・・
「意外」との言葉を使っているものの,職員の歓迎ぶりを伝えている。 しかし,朝日新聞や産経新聞はこのような報じ方だ。
これらはTBSとは正反対の反応を伝えている。 同じ府職員のリアクションを伝えるのに,これだけの違いが出たのにまず驚いた。正直なところ,従前の情報からは職員が橋下氏を歓迎するとはおもえないのだが・・・ また,朝日新聞は・・・
との,タイトルだけみればゾッとしてしまうような,いかにも朝日新聞らしい記事を配信しているが(文章が途中で切れているのは検索サイトの見出し分だからです),なぜか朝日新聞はこの記事を消している(現在はリンク切れ)。 わたしはいつも思うのだが,マスコミは選挙後に騒ぎすぎだ。 それに,どの報道機関でも同じことばかり聞くし,同じことばかりを伝えるから,ハッキリ言って無駄が多い。付和雷同的報道が極端にあらわれるのも選挙前後の時期だ。 マスコミは右から左までピンキリあってよいから,多様な情報を国民に提供してほしいとおもう。同じ報道は全体主義的で望ましくない。だからこそ,マスコミに見切りをつけるような人も出てきたのだとおもう(これはネットの話に止まるが)。 たしかにマスコミは国家権力を抑制するという機能を有している。マスコミが「第三の権力(ほかの二つは政治権力・経済権力)」と言われるゆえんはそこにある。 だが,「報道の自由」を享受する数少ない機関として,第一次的に「国民の知る権利」,すなわち国民が知りたいと欲するであろう情報を,国民に提供していただかなければならない。 橋下氏への評価も,どのマスコミも画一的で雑多な記事ばかりだ。 ということで,またわたしは懲りずにマスコミ批判ばかりをするのでした... みなさんはどのようにお考えでしょうか。 |
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本来,すでにオーストラリアの政権交代で懸念されていたことだったハズですが・・・
捕鯨船団狙う過激団体、豪・NZが”後方支援” 1月27日20時55分配信 産経新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080127-00000940-san-int
こりないな〜。 お得意のリムペットマインあたりを使って,日本の船が沈められやしないか,不安だ。 産経紙にもあるように,反捕鯨団体から日本の調査捕鯨船に「甲板には失明の危険もある悪臭弾が投げ込まれ、スクリューを停止させるためのロープが船の周りにまかれる」などの妨害があった。 そして,その後も・・・
・・・などと執拗な抗議を受けている。 実態を見れば,彼らは「エコ・テロリスト」と呼ぶべき存在なのかも知れないし,「抗議」ではなく「攻撃」と言ったほうが正確なのかも知れない。 1993年(平成5年)?には,グリーンピースだったか,シーシェパードかは忘れてしまったが,日本の船への発砲事件があったとおもう。 オーストラリアという国名がここで出てきた。 本当ならば,ケビン・ラッドが首相に就任したときから,オーストラリア労働党は(日本を)捕鯨問題で糾弾する姿勢を見せていたはずだから,日本のマスコミもそれを報ずべきだっただろう。 なのに,日本のマスコミは「オーストラリア国民の一種の飽きが政権交代を実現させた」とか,「新中派のケビン・ラッドとはいえ,日豪間に大きな影響なし」と言わんばかりの報道姿勢だったように記憶している。 前にエントリにしたが,わたしは捕鯨は意外に切迫した問題なのだろうとおもう。 環境問題を題材にした番組が増えているが,捕鯨問題もぜひやってほしい。 捕鯨が日本の弥生時代から続いていたこと,日本人がかつてから鯨をどのように生活の一部としてきたかということ,そして鯨の数を大幅に減少させたのは誰か(今さら反捕鯨を自称しているアングロサクソンはちょっと前までは何をしていたかな?),反捕鯨国でも捕鯨をやっている国の存在・・・などなど,そういった基本的なところからしっかりと伝えてほしい。こんな感じで,たまには自国の利益に適った報道をしてくれないだろうか...>マスコミさま これも前のエントリと一緒になって恐縮だが,鯨は「かわいそう」というのは捕鯨を中止すべき理由にはならない。「かわいそう」ならば何も食べられないからだ。それを言う人々は,感謝して食べることの重要性を日本の子供たちに教育したほうがよい(学校で「いただきます」と手を合わせることに対して,保護者からクレームがくる社会になってしまったくらいだから)。 また,鯨は頭が良いというのも理由にならない。鯨が賢い生物だから捕ってはいけない,という論理は反対解釈すれば,何らかの障碍により鯨よりも高い知能を持つことができなかった人間を捕っても良いということになるからだ。 (わたしが捕鯨に賛成する理由はこちらを参照されたい) わたしたちは今一度地球環境を考える必要があるし,何らかの努力をすることは言うまでもないが,エコ・ブームの中で環境利権にすがって生きる者(環境破壊を訴えることで収入を得るなど)の存在には注意する必要もある。つまり,環境問題への認識が高まるにつれ,環境問題を使って一儲けしようとする輩もいるということだ。 今回も一般に「反捕鯨団体」といわれるものも必ずしもそうではないということだ。 捕鯨に反対しているという表面的事実にとらわれてはならない。 本当に環境を考えているのならば,海の上では戦わない。 悪臭弾(彼らが投げているのは「酪酸」)を投げ,海を汚すようなこともしない。 燃料を積んだ船を沈没させることはしない。 人間の身体や生命を脅かす行為をしない。 これが「反捕鯨団体」か? みなさんはどのようにお考えでしょうか? |
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つらい事件です。。
交通事故後遺症の34歳・娘を絞殺し?父が縊死 1月27日21時37分配信 読売新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080127-00000035-yom-soci
こういった事件は今回が初めてのことではない。 2006年にも,老老介護(高齢者が高齢者を介護する状態のこと)の末,介護疲れから夫が寝たきりの妻の首を絞め殺したというなんとも悲劇的な事件が起きている(夫妻共に74歳。夫には懲役3年)。 同事件では,判決理由の中で,認知症で寝たきりになった妻の介護に疲れた夫の心情に同情こそあれ,子供たちの処罰感情を強調して,被告は実刑判決となった。 この事件で殺害に及んだ夫は先に述べたように高齢者であり,彼自身にも認知症の症状(刑責はあるとされた)も出ていたし,現に直腸ガンを患いながらの介護だったことが明らかにされている(その意味では微妙な事件だったかも知れない)。 この事件と記事中の事件は,どうも似ている気がする。 ところで,わたしたちはつい事件の「結果」ばかりに目がいきがちになる。 記事の書き方にも,記者の意思が入っているから,軽く読んでいるとなんだか「ムカー」ときたりする。 もちろん,結果は重大だ。記事中の事件も娘さんの命を奪ってしまったのだから。 だが,「結果」偏重で物事を判断することには反対だ。 物事にはプロセスがあり,そして,プロセスあっての「結果」だとおもうからだ。 たとえば,「戦争は悪い」という。わたしもそうおもう。戦争は二度と起こしてはならない。 だが,「戦争は悪いものだった」という「結果」だけでは何も価値はない。 なぜ「戦争が起きたのか」,当時「どういった要因があったのか」・・・というプロセスを考えるべきではなかろうか(このように言うと,「おまえは日帝支配のうんちゃらを正当化するのか!!」なんて言われそうですが...) さて,これに関連して,(わたしが産まれる前の話だが)かつての我が刑法にあった「尊属殺人罪」の違憲判決が下された事件をご紹介したい。 その事件はこのようなものだ。便宜上Wikipediaを引用させていただく。
このとき,結果だけを見れば,被告となった娘は実の父親を殺害しているわけだから,結果は重大といえるだろう。 だが,事件に至るプロセスを見ると,事件のまた別の一面が見えてくる。 つまり,プロセスまで見ようとすれば,被告となった娘は,幼いときから父親の性的虐待を受け,近親相姦までさせられていた,という事件に至る経過を見過ごせなくなる。このようにプロセスをも重視すれば,彼女が父親を殺害したことに,ある一定の理由を見いだせる(全面的に正当化できなくても)。 結果,この事件の最高裁判決では,プロセス面,つまり被害者の被告人に対する仕打ちは強い非難に値するものと考えるとともに,卑属による殺人を重く処罰する尊属殺重罰規定を違憲と判断し,被告人に対し普通殺人罪を適用し懲役2年6月,執行猶予3年を言い渡している。 わたしたちはつい重大な「結果」ばかりに目がいき,それを偏重し,感情的に事件を見つめようとする。 もちろん,結果の重大性から事件に怒ることも大切だ。そういったところから,被害者への配慮もうまれるとおもう。 だが,被害者,犯罪者双方の人権のバランスをとるためにも,今一度冷静に事件を分析し,何が問題なのかを考える必要があるとおもう。 この事件もそうだ。無理心中をおこなったことは社会的に許されることではない。だからそれ相応の非難を与えるべきであろう。 だが,なぜ父親が娘を絞殺し(*1月27日23時現在の報道を元に記していますので,事実と異なる可能性もあります),自身も死亡したのかを冷静に考えなければならない。 最初に挙げた事件もそうだ。老老介護の実態を度外視して妻を殺害した夫を責めることはできない。 だが,このように述べたものの,最終的にはマスコミにも責任があるとおもう。 連日,放火事件ならば放火ばかりを伝え,少年事件ならば少年事件ばかりを伝える報道手法は疑問だ。 そして,不必要に事件の当事者の本名を伝える(あるいは通名によって当事者の氏名を伏す)マスコミ。 マスコミは何を伝えようとしているのか。 国民の知る権利に視するために認められた「報道の自由」の主体として,マスコミは責任を果たしているのか。 記者の持つ「正義のペン」はいつの間にか「偽善のペン」になってしまったのかもしれない。 (最後に付け加えておくが,記事中の事件は残された文子さんが可哀想でなさらない。心から亡くなられたかたのご冥福をお祈りする。わたしも自分の両親を含め家族のことを大切にしたいと改めておもった。) |
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2008年(平成20年)1月 - 第4週の記事一覧です。
この一週間は異常に早く感じられました。 こうやって見てみると,先週はマスコミへの不満を書いた記事が多かったようにおもいます。 私事ですが,家族が次々と風邪をひいています。わたしは馬鹿なので風邪はひきません(ニヤリ) 寒い+乾燥のダブルパンチで,体調を崩しやすくなっているのかもしれません。 みなさんも体調管理には気をつけてくださいね! (報道)談合体質が引き起こした問題だ - 霊感番組倫理違反問題 (01/26) (報道)NHKだけの問題とは思えない - NHK記者インサイダー取引 (01/26) (事件)デジタルコミュニケーションの悲劇 - 出会い系詐欺・窃盗 (01/25) (社会)能なしマスコミに怒れ - BPOみのもんた発言問題 (01/24) (法律)衆議院の解散 ー 憲法7条 (01/23) (政治)この報道って必要なのか? - マスコミと選挙 (01/22) (国際)わたしがこれを支持する理由 - 日本の捕鯨活動 (01/21) |
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対応が遅すぎる!!
江原氏「整理中」と歯切れが悪く…放送倫理違反問題で 1月26日16時27分配信 スポーツ報知 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080126-00000174-sph-ent
この問題は江原氏だけが悪いわけではない。 今やスピリチュアルブームは莫大な市場と化した。 江原氏や細木数子氏などの著書も相当数売れている。だから,出版社は週刊誌などで彼らを批判するわけにもいかない。彼らに頼っているのだ。 また,彼らの出演する番組を放送するマスコミも,高い視聴率をもたらしてくれる彼らを大々的に責めることはできない。 だから,この問題は,いわゆる霊能力者だけの問題にしてはならないとおもう。 彼らに依存しおんぶにだっこであるマスコミ,出版社などの体質も問題なのだ。 大槻義彦氏は次のように述べている。
大槻氏は同時に,彼らに寄り添う「文化人」たちの責任にも言及する。 もちろん,大槻氏の思想が霊的存在を否定するものだから,ニュートラルな見解かと言われればそうではないのかもしれないが,それでもわたしは彼の見解は正論だとおもう。 そもそも「オーラの泉」「天国への階段」などの番組は,霊感商法対策にあたっている弁護士たち(紀藤弁護士など)からも早いうちから抗議があったはずだ。弁護士たちは何よりも現に存在する被害者の姿を知っている。 また,紀藤弁護士によれば,江原氏の霊視するビデオを購入者に見せるなどして霊感商法に利用されている事実も確認されているとのことだ。 泣くのは(自称)霊能者たちではない。視聴者なのだ。 それなのに,視聴率目的に走ったマスコミは十分な対策をしてこなかった。その結果じゃないのか? BPOにも問題がある。なんといっても対応が遅すぎる(毎回のことだ)。早くから視聴者のクレームがあったはずだ。なぜ早くから対応しなかった? 細木氏の番組が終わることが決まってから動いても意味がない。既定路線をなぞっているだけではないか!! それに,民放連もどうしようもない。 彼ら自身の定めた「日本民間放送連盟放送基準」にはこのように書いてある。
(54)には間違いなく抵触している番組をなぜ許してきたのか?? 「地獄に堕ちる」だとか,「不幸になる」と霊能者なる人たちは言うが,これは自分の判断を相手に強要している証左ではないか。 もちろん,わたしはこれらの番組を全面否定するわけではない。楽しみに視聴されるかたもいるだろう。 だが,これらの番組はいずれもゴールデンに放映されているから,子供に対する悪影響も大きい。子供に見せるなという意見もおありだろうが,視聴者にそのような義務を課する番組ってなんだろう? 先日も,中学生だったとおもうが,これらの番組の内容を信じ込み,自分は「死んだら,必ず生まれ変わる」とおもって,自殺した少年がいた。 一般には見えない霊界やオーラを見えるがごとく断言し,それに対してタレントがそれを信じて動揺したり,涙を流して感激して見せるような番組が放送されれば,このような子供たちが出てきてもおかしくないではないか。 しかも子供だけならばよいが,大人だって影響されている。統一協会(教会)がこういった番組を利用していることが分かっている。 楽しみにされているかたには申し訳ないが,わたしはこのような番組の放送には反対だ。百歩譲っても,平日の深夜に放送すべき番組と言えるだろう。 でなければ,ユートピアばかりを国民に見せつける,北朝鮮の番組と何ら変わらないとおもうのだが・・・ |
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NHKだけの問題にしていいんでしょうか・・・
NHK、勤務中の株取引さらに1人 1月26日3時8分配信 読売新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080126-00000005-yom-soci
別にNHKをかばおうとするわけではない。だが,マスコミ関係各社はどうもNHKだけの問題にしたがっているような気がする。 たとえば,2006年(平成18年),日本経済新聞の職員が,インサイダー取引の疑いで逮捕されている。同じマスコミだ。違うのは当事者が経済記者かどうかくらいか。 (参考までに,日本経済新聞の場合には,広告担当常務が引責辞任し,広告局長・広告部長を解任する処分をおこなっている。) マスコミはどうも身内に甘い気がする。自分たちの関係者が事件を起こしても,それを一切報道しない。また,大企業(広告主)の起こした事件も同じように報道しなかったりする。 たしかに,マスコミだって民間の企業と言われれば民間の企業だ。しかし,マスコミが普段から武器に使っている「報道の自由」「報道の公共性」からは,明らかに民間とは異なる性質をもった企業体と言わなければならないだろう。 自由の裏側には責任が伴う。 自由だからこそ,それに見合った責任を負わねばならない。 また,以前にも述べたとおり,「報道の自由」は「国民の知る権利」のために認められたものだ。みなさんも是非憲法を読んでいただきたいが,「報道の自由」などという文言はどこを見ても書いてはいない。 つまり,「表現の自由」(憲法21条1項)に対応するものとして「国民の知る権利」が導かれており,その「国民の知る権利」を根拠に「報道の自由」を解釈から導いているのだ。 「報道の自由」が認められ,国からの監督も強度に及ばないマスコミだからこそ,自浄能力が必要となる。そして,国民に対してある程度の責任を負わねばならない。 だが,現実は違う。先に述べたように,他人の不祥事には厳しいくせに,自分たちの不祥事には甘い。これが本当に「国民の知る権利」のためになっているか,と言われれば疑問だ。 去年を象徴する字=「偽」は,もちろん食品偽装や年金問題などの当事者たちのことを指すものでもあるけれど,「偽」とマスコミも無関係ではないとおもう。 NHK記者らのインサイダー取引は許されるものではない。それに,NHKは公共放送としての性質を持ち,広告料の代わりに国民から受信料を徴収しているわけだから,その分国民からの強い社会的非難を受けうる。 だが,これをNHKだけの問題にしてはならない。 最近のマスコミの報道は,なんだかNHKだけの問題に封じ込めようとしている気がしてならない・・・ |
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<会社預金盗>出会い系で知り合い…1億5千万円 名古屋
1月24日20時8分配信 毎日新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080124-00000146-mai-soci
なんとも言えない事件だ。 「親が病気で大変。返すから貸してほしい」なんてのは,だいぶ昔から詐欺師の上等文句だったはずだ。騙す手口としては何とも幼稚なものだ。それなのに,相手はなぜだまされ,しかも犯罪に手を染めるに至ったのであろうか。 だます側が巧みになったのか,それともだまされる側がだまされやすくなったのか,という点ははっきりと述べることはできない。 ただ明言しうるのは,普通,実社会において見ず知らずの者に「親が病気だ,金を貸せ」と言われたら,それが詐欺であるか否かはその場でだいたいの判断ができる,ということだ。 しかし,この事件において,人間関係の形成手段は実社会における接触ではなく,基本的にメールと電話だけのやりとりによるものだった。 おそらく騙された理由には,そこらへんが密接に関連していると言えるだろう。 出会い系はメールなどコミュニケートのデジタル化の中に生まれた。 近年,日本人は個人重視,自己中心主義的になったと言われており,そのために人間関係が非常に希薄になった(実際,わたしもそうだったりする)。 しかし,一方であらゆるジャンルの人々との交流をしてみたいという気持ちがないわけではなく,気の許せる,安心できる人間とつきあうのがベストだけれども,まさに「好奇心」から未開拓な部分に足を踏み入れたい・・・そんな一種の好奇心が社会にはまだあったとおもう。 そこで,社会は,何かとしがらみのありそうな隣近所との交流よりも,あまり実害のない,屈託のない関係が築けそうな人間関係の可能性を模索し始めた。 それが出会い系だったとおもわれる。別に出会い系に限定する必然性はない。ブログもそうだ。実社会ではあまり口にはできないことでも,ネットならば語ることができる。 わたしは「中道右派(自称)」だけど,わたしがブログに書いているようなことを書けば,わたしとつきあいのある人たちからは一斉に「右翼!」と言われてしまうだろう(笑) だが,ネットでは同じ考えの人との交流ができる。もちろんご批判をしていただくこともあるが,実社会におけるプレッシャーとは全く異なるものだ。そして,ブログに賛同のご意見をいただくと,なんとも言えない喜びを感じる。 「あー同じ考えの人がいてくれたんだなぁ〜」なんておもって,ある意味で連帯感すら感じてしまう。 さて,この事件において,被疑者の塚田は何を求めて出会い系を利用したのだろう。そして,「ジャニーズ系」の写真を見せつけられ,それが本人であると誤信し,さらに「親が病気,金を貸せ」との言葉に簡単に操られてしまった塚田の性格はどのようなものだったのだろう。。 相手が見えないからこそ,だまされる。 その写真とメールに表示されたた記号=メールの文面で相手が分かったようになってはいけない。 人間関係の形成過程が,根本からおかしい。 もちろん,わたしはデジタルによるコミュニケーションに魅力を感じているし,たとえばネットを通じた仲間同士が「オフ会」と呼ばれるものに集まり,それによってさまざまなジャンルの人との交流に成功した例も少なくない点で,こういったコミュニケーションも有意義なものだとおもっている。 わたしは2ちゃんねるというものを利用したことはないが,一般に言われている「ネット右翼」の集団と言われている彼らを悪いとおもったことはあまりない。同じような思想をもった者,特にネット右翼と呼ばれるような思想は実社会では受け入れがたいものとして捉えられているから,ネットに集まるのも無理からぬものとおもう。 それに今更ナショナリズムの象徴であるかのように言われているけど,今までナショナリズムを過度におさえつけてきた反動として現れてきたナショナリズムであるから,理由のないものとは思えない。そもそも,愛国心があることが悪いとは言えない(もっとも,一部のネット利用者がエスノセントリズムに走っているところは感心しない)。 だが,デジタルだからこそ,注意すべきは注意してほしいのだ。 本来はたわいもない芸能の話だったのに,いつの間にか宗教の勧誘になっていた,という例もある(Mixiでの例)。 気づいたら,高価な水を買いそうになった,なんていう特異な事例もある(宗教関係の掲示板の例)。 何気ない書き込みをしたところ,名誉毀損で訴えられたなんていうケースもある。 ネットでは,相手が見えない,相手の真意も分からない。 マスコミの報道と同じように,文面からすべて分かったような気になってはいけない。 ネットを通じた健全な人間関係の構築をしようとおもうばあいには,できる限り慎重に事を運んだほうがよいということだ。 人間関係は「カネ」で作られるものではない。 ネットで接する相手も人間なんだということを意識しよう。 |
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みの、坂出事件被害姉妹の父に謝罪
1月24日9時34分配信 日刊スポーツ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080124-00000010-nks-ent
遅きに失したと言うべきである。 BPOに注意されるまで何ら対応をしなかった点では強い社会的非難が与えられるべきだ。 この番組「みのもんたの朝ズバッ!」は以前からも多くの視聴者から疑問の声が上がっていた。それは,みのもんた氏の言動だけでなく,番組の制作・編集に対する疑問も含まれている(不二家の一件を思い出していただきたい)。 BPOは視聴者の声が大きくなり,社会問題にならなければ,視聴者の期待通りに動かない,と言われてきた。 BPOはこういう活動をできる限り率先垂範しておこなわなければならない。 マスコミに対するチェック機能が十分でなければ,結局はマスコミも社会保険庁のようになる(否,すでになっている)。 マスコミは「報道の自由」を盾に,国からの強い監督に服していない。その点では,懲戒請求問題で揺れている弁護士会と一緒である。 では,誰がチェックするか。弁護士会は懲戒請求という国民によるチェック制度を設けている(その制度の実効性があるかないかという点はこれから精査されることとなろう)。 第三の権力と呼ばれるマスコミをチェックするのは国民だけだ。国民からであれば,「報道の自由」を理由とする保身は通じない。マスコミの「報道の自由」は国民の「知る権利」のために認められるからである。「報道の自由」を盾に国民の「知る権利」を妨げることはできないはずだ。 国民はもっと声を上げなければならない。そして,その声をできる限りBPOなどの機構が取り上げ,番組内容に反映させなければならない。 わたし個人,最近のマスコミの報道も,報道以外の番組もそうであるが,「つまらない」ものが多い気がする。 バラエティ番組は同じ人ばかりが出ている。基本的に,吉本,ジャニーズ,創価で出演者を説明できてしまいそうな人ばかり(笑) 付和雷同的な報道も問題だ。朝青龍なら朝青龍ばかり一週間やっている(そのくせに相撲協会の側の主張ばかりを鵜呑みにして,相撲協会の責めについて言及しようとしない為体ぶりだ)。 同じ方向へほとんどのマスコミが進んでいく。これこそ全体主義的だ。国家の先生を防止する機能も有するマスコミが,全体主義に,そして亡国の道をたどっている気がしてならない。 |
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福田首相、「堂々と粛々と正道歩む」=小沢氏は「人生懸ける」−自・民が仕事始め
1月7日13時1分配信 時事通信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080107-00000046-jij-pol
衆議院の解散。 よく耳にするけど、解散ってよくわからないし、なんで「衆議院の」なのかもよくわからない。 もしかすると、衆議院解散法なんていう法律があるんじゃないか・・・なんて考えているかたもいるのではないだろうか。 衆議院の解散について定めた最もポピュラーな規定は、意外にも日本国憲法だ。 この条文を見ていただきたい。 第69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。 日本国憲法69条は、衆議院で不信任決議案を可決(あるいは信任の決議案を否決)したときの効果として、10日以内に「衆議院が解散」されるもの、と定めている(解散しない場合には内閣総辞職)。 この条文を読んで、「なるほど!衆議院の解散は衆議院で内閣不信任決議案が可決される必要があるんだ!」と考えるのが素直だ。 でも、ニュースを読んでいると、「首相の解散カードがなんちゃら〜」と書いてある。 憲法69条には、内閣不信任決議案が可決されなければ衆議院の解散はない、と書いてあることを重視すれば、首相に「解散カード」があるわけがないじゃないか、ということになるだろう。 だが、それではマスコミの間違い、ということになるのだろうか。 本当に首相に解散カードなんてあるのだろうか。 もう少し、日本国憲法を読んでいこう。 ということで、次に見て欲しいのは、65条だ。 第65条 行政権は、内閣に属する。 行政権の所在について規定されている。 憲法学上も、争いはあるものの、行政権というものに明確な定義をつけておらず、国家作用のうち、立法作用と司法作用を取り除いた残りの作用を指す、と考えられている(実質的意味の行政。控除説)。 行政作用は多岐にわたっており、積極的に定義付けをおこなうことすら困難、ということだ。 そこで、その行政権の意義を前提に、衆議院の解散も、この65条の「行政権」に属するものではないか、という見方がある。つまり、衆議院の解散は、立法作用でも司法作用でもない。だから、その残りの作用、すなわち行政作用に属する、という主張だ。 行政権の範囲内であるとすれば、これが内閣に属するのだから(65条)、内閣の首長である内閣総理大臣に衆議院の解散権があると言える。従って、マスコミの「首相の解散カード」という表現も間違いではないことになろう。 だが、立法作用でも司法作用でもないから、衆議院の解散は行政作用なのだ、というなんとも頼りない解釈に異論もある。 そこで、65条の次は7条を見ていただきたい。 第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。 7条は天皇の国事行為に関する規定だ。 その中の3号を見ていただければわかるとおもうが、天皇の国事行為の中に「衆議院を解散すること」という条文がある。 これを素直に読むと、天皇陛下に衆議院の解散権があるのだから、マスコミの言うような「首相の解散カード」は嘘なんだ、ということになる。だが、子供の頃に「天皇は象徴だ」と教わったことがあるかたは、ここで疑問を生ずるだろう。 それは、天皇は国民統合の象徴であり、それゆえに「天皇は・・・国政に関する権能を有しない」(4条)とされているのに、なぜ衆議院の解散という「国政に関する権能」を有するのか、という疑問だ。 そこで、学説は、このような対応をしようとする。 まず、国事行為の中には、どうも単なる形式的かつ儀礼的な行為とは言えないようなものが含まれていることを認めた上で、7条に示されているように、天皇が「内閣の助言と承認」を得ることによって、本来は「国政に関する権能」というべき衆議院の解散が結果として形式的・儀礼的なものになる、とするのだ。 イメージ的には、内閣の助言と承認によって、衆議院の解散の政治的要素を吸い取るようなものだ。政治的要素が吸い取られた天皇の国事行為としての衆議院の解散は儀礼的なものだけが残存する。 であるから、文理上は「内閣の助言と承認」とされているものの、その内閣には、解散についての実質的な決定権を有していることを認める必要があるだろう。 (天皇陛下の衆議院の解散権を形式的なものにするために)政治的要素を吸い取るだけの政治的決定権、すなわち実質的な解散権は、内閣に属している必要がある、ということだ。 ここまでで、衆議院の解散権は憲法7条3号を根拠に認められることになり、天皇には形式的な解散権が、内閣には実質的な解散権がある、ということも明らかになった。 さて、最初の議論にうつるが、衆議院の解散権の法的根拠が憲法7条3号にあるという以上は、衆議院の解散は必ずしも内閣不信任決議案が可決された場合だけに限られる、という解釈をする必要はなくなる。 それに、衆議院の解散により、後に衆議院議員選挙が行われることに鑑みると、解散というものはどうも民主主義的な意義を持っていることもわかるとおもう。 だから、国民の意思を問う必要がある場合に、解散を認めてよい、とも言えるだろう。 (ただし、解散ばかりでは国は一向に動かないことになるから、安易に解散カードを切らせるというのも、かえって徒に国政を不安定にするので、あまりに広く解散権の行使を認めることにも異論が少なくない。) では、今。この政治状況において、衆議院を解散して国民の意思を問うべき必要はある、と言えるだろうか。 衆参ねじれ現象が起きていることじたいが「国民の意思を問うべき必要」を生じた、という意見もあるだろうし、衆参ねじれ現象は憲法上認められた衆議院の優越などで混乱を回避することができるのだから、いまだ「国民の意思を問うべき必要」を生じていない、という意見もあるだろう。 個人的には、小泉元首相による郵政解散が許されてしまった以上、新テロ法案など困難な法案を前に、既に「国民の意思を問うべき必要」が生じたものと認識している。 だから、首相が解散カードを使うことは憲法上も許されているとおもうし、首相はいつでもカードを切れば良いともおもう。あとは、政治的な判断(駆け引きなどもあるだろう)で、しかるべきときに解散権を行使すればよい。 もっとも、「衆議院」の解散なのだから、衆議院で不利な民主党など野党の内閣不信任決議案等の提出では、その解散を強制することはできない。 だから、なおも衆議院の解散権を持っている首相にアドバンテージがある、とするのが合理的な見方だろう。つまり、民主党が胡座をかいていれば、一気に不利になるおそれもある(少なくともわたしは参議院選挙後の民主党は未だ勝利の余韻に浸っているようにしか見えない)。 さて、首相が、いつ民意を問うか。 そして、これから今後、新テロ法案、予算等も含め、解決困難な問題に、与野党どのように対応していくのか、国民としては楽しみでもあるが、かなり不安でもある。 またこういう政治的に困難な時期に、マスコミはまたおもしろおかしく報道するのかもしれないと思うと、なんだかやるせなくなる。。(もっと国益を考えた報道をしてもよいのではないか) いずれにせよ、首相が伊勢神宮で誓った「国民本位の政治」は必ず実行に移してもらいたい。あまり過度に期待しているわけではないが・・・。これはもちろん小沢代表も同じだ。 |
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当たり前のことでは・・・
<佐藤ゆかり議員>岐阜1区公認「党決定に従う」 1月20日20時22分配信 毎日新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080120-00000054-mai-pol
まず佐藤ゆかり議員は比例代表なのだから,基本的に党の決定に従わなければならない,というのが常識的発想だとおもう(いろいろと党利党略はあるでしょうが)。 それに,選挙区で勝利している野田聖子議員を「勝てる候補者」と明言した古賀さんの発言も当たり前なのではないかと。。 といいますか,この程度のことでそんなに騒ぐ必要はないとわたくしはおもうわけで,マスコミも相変わらず劇場型が好きなのか? 最近のマスコミって,ほんとにおかしいとおもう。 福田首相になって,安倍前首相ほど虐める理由がなくなった,というのもあるが,報道の質が落ちすぎてはいないか? 報道すべきことは世の中にたくさんあるはずなのに,「朝青龍」だのなんだのと馬鹿の一つ覚えに同じような報道をする。 政治が悪くないとは言わないが,マスコミが「良い」と言う人は皆無だとおもう。 わたくしがずっとやってほしいとおもっていることがあるのだが,内閣支持率みたいに,マスコミ支持率ってのを毎月出してくれないだろうか。 まずはテレビ局がいいだろう。 自分の局の支持率調査は禁止。基本的に他局の支持率を調査する。 支持率は局ごとに集計の上,公表する。 少しくらいマスコミには国民が監視していることを知った方がよいのだ。 このような報道は基本的に不要だ。 *記事と話がずれてしまって申し訳ありません。。(汗) |
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日本の捕鯨活動に対する国際的な風当たりが強まっている。
わたしが捕鯨活動を支持する理由を申し上げる。 反捕鯨団体の主張は以下の通りである。 まず個体数の減少である。 たしかに,シロナガスクジラなどの一部の鯨は個体数が少なく,絶命が危ぶまれているのは事実である。 しかし,ミンククジラの個体数は必ずしも絶滅が危惧されるほどではなく,むしろ増加している可能性がある。 また,鯨は,人間たちの漁業資源を大幅に奪うという危険もあるから,人間が鯨の個体数のコントロールをなすこと(捕鯨)は人間の生存のために必要やむを得ない措置である。その意味では,公然と捕鯨活動を行う我が国と異なり,意図的な違法捕鯨を繰り返す韓国などの行為のほうが問題とされて然るべきであろう。 次に反捕鯨団体は,鯨の知能が高いことを理由に反対する。 語弊もあろうが,わたしはこのような反論を提示する。 鯨の知能が高いかどうかは実証的なデータはこれを裏付けるのに不足していると言われているが,もし鯨の知能が優れているといった場合に,たとえば人間との比較において,何らかの病理的障碍(しょうがい)で高い知能を有するに至らなかった人間は「捕獲」してよいことになる。 知能が高ければ捕鯨できない,という論理は反対解釈をすれば,知能が低ければ捕鯨できる,という論理になるだろう。 では,何らかの病気等に高い知能を持ち得なかった人間は,捕獲できる,といてよいのだろう。 このような論理を本当に信じているのだとすれば,こういった反捕鯨団体は人間の命を軽んずる差別的・反人権的団体と言わなければなるまい。 最後に付け加えておくが,鯨と日本人との間には深い歴史がある。 歴史なんていうと,また「古くさい」とおもわれる人もいるだろうが,あなたたちの命は先人なくしてあり得ない。我が歴史を知ることはたいへん意義深いものと考えよう。 鯨の利用の歴史は,縄文時代には始まっていた。弥生時代には捕鯨をやっていた可能性も高い。 しかし,江戸時代あたりからアメリカ・イギリスなどの国が日本海域に進入し,鯨の乱獲が始まった。そのために,鯨,ことに小型の鯨の個体数は激減してしまったのである。 また,こんなこと言うと,戦前の考え方だ,と馬鹿にする連中(口が悪いですね。笑)もいるだろうから,念を押して言うが,戦後の日本で捕鯨を推進したのはGHQだ。当時の日本の食糧事情もあったのだろうが,今では反捕鯨を唱えるアメリカ人が捕鯨を推進したのだ。 そしてそのアメリカは,自分たちの捕鯨は承認しているではないか。このダブル・スタンダードを誰も口にしないのだ。それこそ日本のマスコミはその矛盾を指摘したほうがよいだろう。 でなければ,やはり日本は未だアメリカの属国であることに悲観するしかない。 捕鯨問題を見る際に気をつけたいのは,捕鯨すら知らない国々が次々と国際的な議論の場に参加し,特定の集団,たとえば反日を目的とする集団などと深く結びつくなどして,専ら感情論で捕鯨を唱えている,という事実だ。 すなわち,国際的な反捕鯨の動きは基本的に「鯨はかわいそう」との感情を基礎に成り立っていると言って良い。 これにもいくつもの反論ができる。「鯨はかわいそう」というのなら,われわれが食べている豚は?牛は?鳥は?全く「かわいそう」でないと言えるのか。 日本人の旧来の精神からいって,食に対する感謝を忘れないということが重要だ。豚も牛も鳥も,そして鯨も「かわいそう」ではあるが,われわれ人間が生きていくためにその命をいただく,命をいただくのだから「感謝」して食べねばならない。 「俺は鯨を食べないから関係ない」というのはよそう。そういう人に限って,食べる前に「いただきます」と言わないだろう?食への感謝なき者に,資源を語らせてはならない。 われわれは常に冷静でいなければならない。これは主に中国・朝鮮との間でやっている歴史認識問題も同じだ。感情の固まりを相手に,われわれは常に冷静でいよう。彼らは自分たちの熱情が冷めるのが嫌で,自分たちのために騒いでいるのだ。必死に日の丸を燃やして,自分たちの感情に火をつけているのだ。 自虐的な日本人よ。自信を持とう! |
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異論も多かろうとおもわれるが,敢えて書きたい。
われわれは,平和,人権,自由といった概念を好み,そして国家による規制を嫌う人々が規制を望み,人権を制限しようとしているという自己矛盾に気づくべきだ。 石川遼の「迷彩ルック」禁止、へそ出しも規制の動き 1月19日14時42分配信 読売新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080119-00000507-yom-spo
紳士のスポーツね・・・まあ,それはいいとしても,これはどういうことか? 「迷彩柄は戦争を思い起こさせる」 前に,産経新聞が甲子園での生徒たちの応援で着用する学ランが「戦争を想起させる」との理由から着られなくなった,という内容の報道をしていたが(この報道の真偽には異論もあったが),それとほぼ同じような内容の報道だ。 紳士のスポーツ,というところはよいだろう。スポーツにも伝統・歴史がある。これらは一つの価値として尊重すべきだ。 だが,迷彩柄は戦争を想起させる,といって「着てはいけない」というのはどういうことか?迷彩服をみると,日中戦争,日韓併合,沖縄戦,原爆投下・・・の歴史などが具体的に思い出されるのか? それに,石川遼選手が「戦争をしたい」などと一言でも言ったか?わたくしが見る限り,彼は適切な敬語を用い,落ち着いてマスコミに受け答えしている。その対応は高く評価されて当然のものだ。 迷彩柄の洋服が一般的なものとなっているこんにちにおいて,人の「服装」だけで戦争に直結するという精神のほうが社会に適合していないというべきではなかろうか。 そもそも,ゴルフと戦争が無関係であるとでもおもっているのだろうか?? ところで,このような抗議をする人に限って,「人権」という言葉を好きこのんで用いる,というのは周知の事実であろう。 あらゆることを「戦争」に結びつけて,行動を「禁止」する,彼らのスタイルは最近はネットなどでも批判の対象となっている。 それは,彼らが普段口にする「人権」の思想と真逆の方向だからだ。ライフスタイルに関して自己決定権を認めず,好ましくないとする存在を排除すればそれで「平和」が築かれた,とでも言うつもりなのだろうか。それこそ「平和ボケ」の最たるもの,というべきであろう。 「反戦」のために「人権を制限する」。これこそ全体主義への第一歩であることをまず自覚すべきである。 そして,自らのしていることの意味を自覚せよ。その行為は本当に戦争に反対する者のすべきことなのかを。彼らは,戦争を忌み嫌うがために,歪んだ平和主義思想を形成し,自ら意図しない専制国家に向かっているのだ。 われわれがかつて持っていたであろう寛容の精神が「歪んだ人権思想」の前に揺らぎ始めている。 たいてい「戦争を思い出す」という人に限って戦争を体験していない世代だ。 あなたが石川選手の姿に「戦争」を見いだしたのならば,まずは自分の目を疑え。自分の瞳が汚れているから,世の中が汚れて見えるのだ。 |
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マスコミにこそコーポレートガバナンスを! <NHK不正取引>8000人に内部調査実施 橋本会長表明 1月18日21時4分配信 毎日新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080118-00000150-mai-soci
わたしの見方が偏っている、ということもあるが、マスコミの報道をみていると、まるで他人事のようで、「NHKだけの」問題にしたいかのような意図を感じてしまう。 しかし、この事件に類似したことならば、他の民間放送だって同じようなことはしている(いた)だろう。 NHKだけが悪いとは思えない。 マスコミは誰からチェックを受けるのだろう。 ねつ造報道をしたとしても、お咎めなし。香川三人不明事件でも、被害者遺族の山下清さんをまるで犯人であるかの如き内容の報道をした。 マスコミは常に国民の側であり、正義の味方とは限らない。 記者クラブという談合組織を作り、自己に好ましくない媒体を排除し利権を独占する点では、官僚たちと変わらないではないか。 不祥事が起きても、報じない、あるいは大きく報じない。民間企業の不祥事ならば、連日のマスコミの特集も相まって、信用を失い、経営危機に陥ってしまうだろう(倒産した企業も多い)。 わたしたち情報の受け手にも問題があるだろう。 マスコミの情報を鵜呑みにし、何ら精査することなく信じ込んでしまう。 最近のマスコミは付和雷同的な報道を繰り返す傾向がある。ある命題があり、それには何通りの回答ができるのにもかかわらず、民間放送は事前に談合したかのように、ある決まった視点から一定のある回答だけをあたかもそれだけが正解かのように報ずるのだ。 わたしたち国民は往々にしてマスコミの情報をまるまる信じ込んでしまう。付和雷同的な報道、そして画一的な報道を鵜呑みにする国民、それこそまさに全体主義的ではないか。 さんざん何かが起きるたびに「軍靴の足跡が聞こえてくる」と言っている、どこぞの新聞社のやっている報道のほうが、遙かに怖い。 わたしたちはマスコミの情報を頼るしかない。わたしたちには情報調査力が乏しいからである。 ネットがあればよい、というかたもおられるだろうが、ネットの情報も結局はマスコミの力を頼っている面が少なくない。ネットで出回ってしまっている動画も、ほとんどがテレビの録画だ。ネット社会から生み出したものではない。 (ただ、ネットでは「報道を精査する」という活動が多くのブログ・掲示板でなされている。記事の内容だけでなく、記事の意味まで考えるかたも多くなった。それは本当に尊いとおもう。) マスコミをチェックするのは誰だ? マスコミは、国によるチェックは「報道の自由の侵害」「自分たちはただの株式会社」として反発する。 しかし、マスコミは、民間企業と一緒にされることには「報道の公共性」を理由に反発する。 まるで中国と一緒ではないか。強大な経済力・軍事力を持つに至った大国であるにもかかわらず、都合が悪くなるとすぐに「中国は発展途上国」だと主張し、「技術支援をしろ、金をよこせ」と言ってくる。 マスコミにこそコーポレートガバナンスを。 国民が第三の権力たる |