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Il testimone...

人生朝露の如し 一日を大切に記していきます

[法律]「小沢氏が首相になった場合,憲法上は起訴困難か」について

 小沢氏が首相になった場合、憲法上は起訴困難か(読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100826-OYT1T00752.htm

 国務大臣の起訴を巡っては、憲法75条が、首相の同意がなければ大臣の訴追はできないと定めている。
 この条文によれば、小沢氏が代表選に当選し、指名を受けて首相となった場合には、仮に東京第5検察審査会が小沢氏を「起訴すべきだ」と判断しても、小沢氏自身が同意しない限り、強制起訴されないことになる。
 憲法学者の間でも、「首相が自身の訴追同意するとは考えにくい」との理由から、首相は起訴できないとの意見が強い。

 ただ、憲法75条が設けられたのは、検察当局による不当な圧迫を避け、国務大臣の身分を保障することで内閣の一体性を保つためだとされている。このため、検察関係者の中には、「国民の代表でもある検察審査会の出した結論は、検察当局の判断とは性質が異なるため、強制起訴は可能だ」との見方もある。

 憲法75条は、国務大臣在任中は首相の同意がないと起訴されないとしているだけで、その間は時効の進行が止まり、辞職後に起訴が可能になると理解されている。このため、検察審査会が起訴議決した場合は、大臣退任後、裁判所が指定した弁護士が、議決に基づき起訴すると考えられる。



○ 問題となっている憲法75条の条文

 第七十五条 国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は害されない。

○ 憲法75条がなぜ定められているか

 <訴追が慎重に行われることを担保するとともに,総理の首長的地位を確保するため>(芦部信喜『憲法(第三版)』平成14年,岩波書店。298ページ)

○ 内閣総理大臣の訴追に関して

 内閣総理大臣が「国務大臣」との文言に含まれるか否かが,学説上争われている。

 ある見解は,内閣総理大臣は「国務大臣」との文言に含まれず,内閣総理大臣に対する訴追自体一切許されないと主張する。

 これに対する見解としては,内閣総理大臣は「国務大臣」との文言に含まれるのであって,内閣総理大臣が自らに対する訴追について,内閣総理大臣として同意するか否かを決しなければならない,と主張する。
 つまり,この見解によれば,内閣総理大臣が敢えて自分の訴追に同意し,いわば裁判で身の潔白を主張することを選択することも可能となる(もっとも仮に小沢「総理」が誕生したとして,小沢氏が自らの訴追に同意するとは考えがたい。)。

○ 但書「訴追の権利は害されない」の意味

 読売新聞の記事に紹介されているように,内閣総理大臣の同意がない場合には,公訴時効が停止すると考えられている。
 つまり,あくまでも同意なくして訴追できないのは「その在任中」に限られるのであって,国務大臣がその職を退いた場合は,「その在任中」とは言えない以上,訴追が妨げられることはない。

○ 強制起訴の場合はどうか

 読売新聞が紹介するように,強制起訴の場合は,憲法75条の「訴追」に該当しないのではないか,と考えられないわけではない。
 憲法75条の趣旨を,検察による不当な訴追を防ぐことにある,と考えるのであれば,検察審査会が主導する強制起訴の場合は,内閣総理大臣の同意なしに訴追することも可能ではないか,とも言える。

 もっとも,憲法75条の趣旨が<訴追が慎重に行われることを担保する>ことに止まらず,<総理の首長的地位を確保するため>あるいは「内閣の一体性保持」にあるとすれば,やや無理のある解釈のように思えなくもない。

 個人的には,内閣総理大臣は「国務大臣」に含まれると考えるので,仮に小沢氏が首相になった場合には,小沢氏は自らの訴追について同意するか否かを決しなければならず,自らの訴追に同意を与えない場合には,政治道徳上の非難が加えられることになるだろうし,同意を与える場合には,現役の内閣総理大臣が裁判で自らの潔白を争うという事態を招来することになるのではないか,と考える。

 なお,上記のような学説上の争いがあり,最高裁の明確な判断もない条文に関する問題であるため,マスコミもできる限り曖昧な表現をもってこのニュースを伝えているものと思われる。
 
  1. 2010/08/27(金) 00:43:32|
  2. 司法
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今日は広島原爆投下の日

 昭和20年8月6日午前8時15分。広島に原爆が投下されました。

 さきほど黙祷をさせていただきました。改めて先人たちの犠牲の上に,私たちの生活が成り立っていることを自覚し,そのことに感謝すると共に,先人たちの経験が生かされ,生活の平穏が子どもたちの代にも享受されるよう日々努力していきたいと思います。

 
  1. 2010/08/06(金) 08:26:08|
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『「親日」と「反日」の文化人類学』(崔吉城)

 書評なんてたいそうなものはできないので,私が読んだ本のご紹介です。

 崔吉城(チェ・キルソン)『「親日」と「反日」の文化人類学』(明石書店,平成14年)

 本の紹介文

 韓国で生まれ、教育を受け、日本研究や教育に長く携わってきた著者が、日韓関係について植民地の歴史認識に理性的論議が進められることを願って著した書。戦前の親日化、植民地と日本のイメージ、反日の暴力化などを扱う。

 この種のタイトルを見ると,「あ,左翼が日本にイチャモン付ける本か」とか,逆に「また右翼が反日と騒いでるのか」という反応がかえってきそうですが,大学教授であるチェ氏だけあって,自身の研究を踏まえた上での極めてフェアな視点から書かれたものです。

 その姿勢は,あとがきを読めば一目瞭然で,チェ氏は日本に在住する韓国人として,日本の右傾化に一定の警戒を示しながらも,韓国や中国は自国のナショナリズムを見直すべきだと訴えています。

 私が最も印象的だったのは,どういう形で韓国人のナショナリズムが形成されるのか,という点です。
 詳しくは本を読んでいただくとして,特に,最近の韓国人,とりわけ事あるごとに抗議デモに参加して日の丸を焼いたりしている人たちを見る限り,どうも過去の戦争を経験した人には見えないため,なぜ彼らがここまでナショナリズムをむき出しにして反日感情を高揚させているのか,という疑問点がなんとなくわかった気になりました。

 あと本筋には関係のないことですが,あとがきにてチェ氏が紹介する「友人の話」に以下のようなことが書いてあって気になりました。

 ある韓国人は広島に来て平和記念館を観覧して怒って言う。〔…〕日本が被害意識を強調しながら戦争責任から逃げようとしており反省していないという。原爆の被害感情さえ韓国とは共有できていない。

 韓国人から見ると,広島の平和記念館は「日帝が被害者面するなんてけしからん」と見えるんですかね…
 これじゃあ,日韓の歴史認識なんて一致を見るわけがないのは当然ですね。。
  1. 2010/08/02(月) 01:15:57|
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