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「体罰と犯罪」頭部への打撃7(東京高裁昭和56年4月1日判決)

1  東京高裁は、ここまでで見てきたような事情を考慮して、A教諭の暴力は、教師として認められる生徒に対する懲戒権の範囲内に止まるものとして、暴行罪の成立を認めませんでした。
   しかし、東京高裁は、判決の最後に「A教諭のやり方がV君に対する生活指導として唯一・最善の方法・形態のものであったか、他にもっと適切な対処の仕方はなかつたかについては、必ずしも疑問の余地がないではない」と裁判所の率直な気持ちを述べてもいます。

2  そのような裁判所の悩みを見せながらも、最終的に裁判所がA教諭を罪に問わなかったことについては、「本来、どのような方法・形態の懲戒のやり方を選ぶかは、平素から生徒に接してその性格、行状、長所・短所等を知り、その成長ぶりを観察している教師が生徒の当該行為に対する処置として適切だと判断して決定するところに任せるのが相当」だと説明しています。

   さらに、東京高裁は「(注:A教諭がV君への指導として)その決定したところが社会通念上著しく妥当を欠くと認められる場合を除いては、教師の自由裁量権によって決すべき範囲内に属する事項と解すべきであるから、仮にその選択した懲戒の方法・形態が生活指導のやり方として唯一・最善のものであったとはいえない場合であったとしても、A教諭が採った懲戒行為としての当否ないしはその是非の問題については、裁判所としては評価・判断の限りではない」と踏み込んだ判断を行いました。

3  もともと東京高裁の判決には、賛否両論あるところです。
   体罰を含めた教師による暴力の有効性を強く主張する方は、おおむね東京高裁の判決に賛同できると思いますが、教師は生徒に対して一切暴力を振るってはいけないと考える方にしてみれば、東京高裁がいわば教師による子どもへの一定の暴力を容認したことについて、強い違和感をもたれると思います。

   私個人は、東京高裁の判決の結論には同意です。
   前の記事にも書いたように、私自身は、体罰が是か非か、という考え方ではなく、東京高裁がしたように、教師が生徒を指導するために、教育者としてどの程度の懲戒権を行使できるのか、という限界を探るアプローチが妥当だと思っています。

   体罰は是か非か、という問題の提起では、前にも書いたように、人によって「体罰」に抱くイメージも、「体罰」が持つ言葉の意味もかなり開きがあるため、今回のような体罰事件が起きても、国民的な議論がかみ合わず、停滞しがちです。
   であれば、いちど体罰という言葉から離れて、教師はどういった立場にあるのか、教師はどこまで生徒に指導・懲戒できるのか、という範囲確定を行ったほうが議論が活性化しそうな気がします。

   それに、「体罰」という言葉が覆い隠していると思うのですが、体罰であろうが、体罰でなかろうが、教師が生徒に手を出したら、それは「暴行」であることに変わりありません。
   東京高裁のように、いやしくも教師が生徒に手を出したら、それは刑法でいうところの「暴行」であることは認めた上で、それが社会において正当化されるものかどうか、を国民が議論していくべきでしょう。

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  1. 2013/02/07(木) 14:23:44|
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