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Il testimone...

人生朝露の如し 一日を大切に記していきます

民法上の成年者を「18歳に」

 法務大臣の諮問機関である法制審議会が「成人の年齢を20歳から18歳に引き下げるのが適当」として、法務大臣に答申した。

 関心の強いかたも多いと思います。しかし、これによってどういうことが起きるのか、そして、現行法がどういう規定になっているのかを知っている人はあまり多くはないでしょう。

 民法は成人の年齢を20歳としています。

 第4条(成年)年齢20歳をもって、成年とする。


 そして、20歳に満たない者を「未成年者」とし、未成年者のする法律行為(売買契約など)について、以下のような規定を置いています。

 第5条  未成年者が法律行為をするには、その法定代理人の同意を得なければならない。ただし、単に権利を得、又は義務を免れる法律行為については、この限りでない。


 このblogは、司法試験受験生応援ブログではないので(笑)、専門的な解説は省きますが、要は、未成年者は自分一人で有効な契約等を締結する能力がない、ということです。だからこそ、法定代理人(親など)の事前の同意がなければ、有効に契約を結べないのです(ただし、ガス・水道供給契約などは別です。)。

 仮に、成人年齢が引き下げとなれば、18歳以上の者が自由に契約等の法律行為を行いうるようになります。
 答申でも指摘されていますが、これにより、18歳であっても自由に契約を締結することができるようになりますから、悪質業者の餌食になるおそれもありますし、適切な判断を下すことができずに無計画なローン契約を締結してしまう、などということも考えられます。

 一方で、成年となる年齢を2年早めて18歳以上(高校卒業程度)とすることによって、社会参加の時期が早くなるので、より大人として、社会人としての自覚を早期に持てるようになるのではないか、と言う人もいるようです。

 自由を認めることは、同時にそれに伴う責任・リスクを負わせる、ということです。

 私は、20歳以上の者であっても、自分の自由を行使する一方で、それに伴うリスクを真に理解して、これを引き受けている人は決して多くはないと感じています。
 ですから、仮に成年に達する年齢を2年早めることで、彼らに社会人としての自覚を早期に目覚めさせることが可能なのであれば、それはそれで賛成できなくもありません。

 ですが、彼らが社会人としての自覚を持つかどうかという問題と、民法上の成年を何歳にするかどうか、という問題とを連動させて考えるのはどうかなあ、と思っています。

 今回の答申では、「成年に達する年齢を引き下げること」イコール「社会人としての自覚を持たせること」と考えているようですけれども、これらの問題は、彼らが置かれた社会的環境や教育状況によるところが多いような気がします。

 法律によってこれらを解決しようというのは、どうかなあ。順番が逆な気がしますね。
 
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  1. 2009/10/30(金) 15:32:31 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集]

>秘密コメントさま

私も自分の記事をみて、自分は若者を信用していないなあ、とおもいました。といっても、私も20代なので世間からはオシリの青い奴だとおもわれているのかもしれませんが。

法律家としては、正直、そろそろ消費者も賢くなってほしいなあ、とおもうことがあります。もちろん悪質な業者も数多くありますけど、迂闊に不当な契約を結んでしまったとしかおもえないケースをいくつか見てきました(不当な契約を結んだからといって、諦める必要はありませんが)。
おっしゃるように、権利の裏には義務が、自由の裏には責任があります。表現の自由があるからといって、特定の個人の名誉を毀損(きそん)すれば、その者は賠償する責任をおわなければなりません。
リスクある社会を生き残って行くために、そして真に成熟した国家を創造するためには、若い人達に積極的な社会参与の機会を与える、というのは良いことですね。

やってみなきゃわからない、といって民主党が政権を奪取したように、18歳のかたがたにも、一度やらせてみたらいいのかもしれませんね(笑)。
若者もやればできる…ってことを見せ付けて欲しいです。
  1. 2009/10/30(金) 16:41:48 |
  2. URL |
  3. くるくる #-
  4. [ 編集]

No title

こんにちは、お久しぶりです。

ついに、頸椎だけでなく椎間板までヘルニアになってしまいました。
名医(鍼灸師)のお陰で、なんとか稼ぎ時を乗り越えました。
30代も後半になりますと、ガタがくるんですかねえ。
ちょっと早すぎるような気がしないでもありませんが~。
くるくるさんはおいくつくらいだろうか~と思っておりましたが、20代だったんですね。
私が20代の頃は何してましたっけか。世の中のことに今よりも疎く、
社会の出来事に無関心でした。
もっとも自分のことが精一杯で、考える余裕がなかったと言えばそうなんですが
貴重な時間を失ってしまったような気がします。

>若者を信用していないなあ、とおもいました。

中学生の頃、同じことを感じました。

「周りの大人達は、子供=悪、という前提で子供や私を見ている。
子供と向き合う時、全否定から入るのは何故なんだぜ。
子供の中にある善性を認め、或いはそれを引き出して育むには
肯定から入らないと駄目なんじゃないの?」

子供は未熟で馬鹿・・・常にこんな目で見られますと、
次第に無気力になるんですね。
その一方で、大人並みの完璧さを要求される。
そうなるよう教育をしなかった癖に、ある日突然、大人と同レベルを期待する。
できなければ「ホラやっぱり、おまえはこれだから駄目なんだ」
ああもう、やる気失せますよ^^;

「信じる」とは、何を信じるのか。
私は、「可能性」を信じ、育くむことだと思います。

>彼らが社会人としての自覚を持つかどうかという問題と、民法上の成年を何歳にするかどうか、という問題とを連動させて考えるのはどうかなあ、と思っています。
法律によってこれらを解決しようというのは、どうかなあ。順番が逆な気がしますね。

同意です。的外れな気がしますね。

問題は、成人年齢の引き下げよりも、こうした大人たちの意識にあるような気がします。
上記のような大人たちが教育にかかわるなら、法的成人年齢が何歳だろうと
権利と義務を弁えた大人が育まれるとは思えません。
大人や教育だけの責任にするつもりはありませんが、
大人になるよう教育してこなかったのは、誰ですか?・・・と。
どう思われますか?

年寄りの愚痴「最近の若い者は・・・」を聞いたような違和感を覚えます。
(年を重ねても、コレだけは絶対に言わないでおこうと決めています。
愚痴りたくなるような次世代を育てたのは、私たちですから。)

  1. 2009/11/02(月) 10:45:35 |
  2. URL |
  3. 鴻 #FDXVSfgk
  4. [ 編集]

>鴻さん

> こんにちは、お久しぶりです。
> ついに、頸椎だけでなく椎間板までヘルニアになってしまいました。
> 名医(鍼灸師)のお陰で、なんとか稼ぎ時を乗り越えました。

 お久しぶりです。しばらく鴻さんのブログに更新がなかったので、どうしたものかと心配しておりました。
 ヘルニアはその場から一切身動きがとれず、声すら出なくなってしまうほど、とにかく痛い、というのを聞いたことがあります。おつらいでしょうね・・・

 鴻さんのお身体が一刻も早くよくなられることを祈っています。


> くるくるさんはおいくつくらいだろうか~と思っておりましたが、20代だったんですね。
> 私が20代の頃は何してましたっけか。世の中のことに今よりも疎く、
> 社会の出来事に無関心でした。

 (∀`*ゞ)エヘヘ 20代の元気な男の子です(笑)。しかし、他人からは一度も「かっこいい」と言われたことがなく(涙)、いつも「かわいい」と言われます。
 もしかすると、私は典型的な草食系男子なのかも・・・


> もっとも自分のことが精一杯で、考える余裕がなかったと言えばそうなんですが
> 貴重な時間を失ってしまったような気がします。

 私たちは常に時間の中に、一瞬一瞬を生きているんですよね。失った時間を取り戻すことはできませんが、これからの時間をそれ以上に煌めかせることもできるかもしれません。
 鴻さんのブログを拝見して、私も大きく成長を遂げることができたような気がします。毎回、感謝の気持ちをもってアクセスさせていただいています。
 毎回言っているようで耳にたこができてしまうかもしれませんが、鴻さんのおかげで、私はチベットと結ばれたのですから。


> 「周りの大人達は、子供=悪、という前提で子供や私を見ている。
> 子供と向き合う時、全否定から入るのは何故なんだぜ。
> 子供の中にある善性を認め、或いはそれを引き出して育むには
> 肯定から入らないと駄目なんじゃないの?」

 おっしゃるとおりです。まずは、相手の可能性を認めて差し上げることから始めなければ、その人のせっかくの才能を台無しにしてしまうかもしれません。
 私も若者の一人なのかもしれませんが、自分たちの世代に自信を持ちたいです(と言いながら、今日は同世代の人と一緒に電車の中で「どうせ年金なんてもらえねえよ・・・(うえーん)」と愚痴りながら帰ってきました・笑)。


> 「信じる」とは、何を信じるのか。 私は、「可能性」を信じ、育くむことだと思います。

 おっしゃるとおりです。相手の存在を肯定することからすべてが始まるんですよね。私は修行不足の身なので、どうしても自分が一番になってしまいます。ですが、相手あっての自分ではないか、最近ようやくそのように感じられるようになりました。
 相手の可能性を否定する資格なんて、実は誰にもないんですよね。鴻さんのおっしゃるとおりだとおもいます。


> 大人や教育だけの責任にするつもりはありませんが、大人になるよう教育してこなかったのは、誰ですか?・・・と。

 ごもっともです。ハッキリ言って、成人の年齢の引き下げについては、「どうしようもない子どもたち」に手を焼いている大人たちが「もう法律でこいつらを大人にしちゃえばいいじゃないか」と言っているに等しいような気がしているのです。

> 年寄りの愚痴「最近の若い者は・・・」を聞いたような違和感を覚えます。
> (年を重ねても、コレだけは絶対に言わないでおこうと決めています。
> 愚痴りたくなるような次世代を育てたのは、私たちですから。)

 90歳になる私の祖父が言っていました。
 「オレが子どものころも、親父たちから"最近の若いヤツは・・・"と言われてきた。若い人たちの宿命みたいなもんだよ」と。

 おそらくそうなんでしょうね。きっと。
 もしかすると、大人たちは、自分たちの歩んできた道を振り返るのが怖い、あるいは、目の前にいる子どもたちを作ったのが、自分たちだと信じたくないのかもしれません。

 私の生は、常に死者の上に成り立っています。私たちが立っているその土地では、もしかすると、戦(いくさ)があって誰かが命を落とした場所かも知れません。あるいは、誰かと誰かが幸せな家庭を築いた場所なのかも知れません。

 だからこそ、私たちは常に時間的継続性を意識して生きなければいけないのだ、と強く思います。私たちの前に先人がいたように、私たちは「いま」を生きていますが、私たちの後に生きる人たちはこれからの時を生きることになります。

 次の世代が苦労しなくても済むような社会にしていかなければいけませんね!(;`・д・`)ウンウン

 鴻さんのおっしゃるように、子どもの利益のために、私たちは責任をもって社会の中で生きていく必要がありますね☆
  1. 2009/11/02(月) 19:09:09 |
  2. URL |
  3. くるくる #0S.Kwhuo
  4. [ 編集]

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